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「染、色」感想 2021/9/30

「染、色」感想。(考察?)

 

正門くんの初主演舞台が、アーカイブ付きで配信されるということでありがたく拝見いたしました。加藤シゲアキ作品を見るのはピンクとグレーの映画以来。

鑑賞後、これがシゲシゲしいと表現されるものなのだと知りジャニヲタレベルが上がりました。

 

怒鳴り合いをしたり感情がボロボロ出てくるシーンが多くて自分的にはかなりエネルギーを消費する内容だったので何度も止めながら休憩しながら見ました。

でも、こうした環境でじっくり見られたのでぐるぐると思うところも少し出てきました。アーカイブを残したのは見た人に考える時間を与える粋な計らいだったんじゃないか。見終わってからそう思いました。

 

整合性なんてあったもんじゃないけど、物語を通して登場人物に感じたことを雑多にまとめました。

 

 

・深馬という人

 -真未という人

・杏奈という人

 -ラストの深馬からの電話

・疑問点

 

 

・深馬という人

美大に主席入学。但しその後、伸び悩んでいる。

最後まで見た所感としては「自己肯定感の低い自己愛強めのナルシスト」です。

ナチュラルに他人を見下して、ナチュラルに他人のせいにしようとしている。

また、優柔不断ゆえに自分で何かを選び取れない子だと思います。真未との対話にもあったように作品を終わらせるのが怖がっている。何度も重ねられる油絵と深馬はそういった点で相性が良かったのかなと。

選考会に出す絵を「あえて下書きを残したままでもいいかな」といったのも深馬の優柔不断さの現れだし、最後の居酒屋のシーンも、わざと単位を落として大学生活を続けるところも「焦って就職するよりも~」ともっともらしいことを言っていたけど、仲間のように才能を捨てて就職するか夢を追い続けるかを決められなかったんじゃないかな。

将来に関しても、選択肢があっても選び取れない子なので、多分そのまま誘われた予備校の講師になる気がする。

 

・真未という人(深馬の中の真未という人)

名前がまず”真”実”未”満なので、実在はしていないと思っています。

そんな真未は、深馬の「理想の天才像」であり深馬の「才能」の部分だと思います。

深馬の両親は存命で普通の家庭で育ったことに不満?(コンプレックス?)を持っています。

北見のように家がお金持ちなわけでもないし、杏奈のようにシングルマザーで貧乏を経験した家庭でもない。そこに少し憧れていたのかな?自分の生まれた環境が普通だから自分は平凡なんだと沸いてこない才能を正当化しようとしているのかなと?

そんな真未は「両親不在で施設育ち、学校の勉強をしたことがないのに独学で絵が描ける」尖った経歴の持ち主。これが深馬の「理想の天才像」なんだと思います。

 

真未が深馬の「才能」の部分だと思った理由は、

普段は言えない北見や滝川先生に対する本音が真未には出ている点。

美大講師として安月給で働く滝川先生を見下す

 

真未を始めて大学に連れて行くシーン

真未「滝川先生みたいになりたい?」

深馬「どうかな」

 

でも、一方で先生の部屋に呼ばれて部屋を自由に使える自分を選ばれた特別な存在だと思っているから見下しているのとは違うかも(「俺たちだけ特別に使っていいことになっているんだ」)発言で優越感は持っているように思える。

 

・北見の作品について

真未「こんなの小学生の時には出来た」

 

なんでもズバズバとそれらしいことを言うのもまた有りたい姿だったのかもしれない。

真未に絵に対してのアドバイスを貰うシーンなんかを見ていると、自問自答して絵をつくっていたのだと思うと深馬も本気で絵に取り組みたかった子なのだなと思った。作品を完成させない深馬に対して真未が強い言葉を吐いているところからも、向き合うのが怖くてあえて自分の深層にいる真未に言わせたんだろうか。

 

ここまで深馬のことをどうしようもない奴みたいに書いてしまったけど、主席で入学している事実からも明らかなように努力をしてつかみ取っていて、実力があることは確か。

そして絵が好きな気持ちもきちんと持っています。でも、そこに自信が持てないのは「周りが褒めてくれるから」「周りに言われて」と流されてきたので確固たる信念みたいな何かがなかったんじゃないかな。

 

絵が上手いとちやほやされているうちはそれが気持ちよくて、気づかなかったけど、落ちぶれてからの始めて自分自身に軸がないことに気づいた。それが今の自信の無さに繋がっている。

だから、遠慮がちに振る舞うことで他人の「そんなことないよ。お前はすごいよ」を求めてしまっているのではないか。今までの功績とプライドのせいで自分を守る方に走る。それが面接で杏奈が言ってた「才能がある謙虚な人」に映っているのではないか。

 

・杏奈という人

前述したように就職面接で深馬のことを「才能がある謙虚な人」だと語っている。

普通を一生懸命頑張れる子。深馬に対しても真っ直ぐ。嘘をついたりしない。とても芯の通ったしっかりした子です。「自分には芯がない?」と言う風に言ってた気がするんだけど、ここで自己分析は出来てない(本当はしっかり芯を持った子なので)。また、他己分析も出来ていない。

「天才を支える自分に酔っている」のかもしれない。「わからないことに酔うのが気持ちいい」のかもしれない。

恋愛している自分に酔っている可能性もあるが基本的にとてもいい子なので深馬が嫌うはずもなく、依存、甘え含めて好きなんだと思う。退院後ころがりこんだのも一時期はこんな平凡な女、俺とは釣り合わないなんて風に思ってたかもしれないけど、結局、「普通」を辿る杏奈といるのは居心地がよかったし。「特別」でありたい自分と「普通」であれば自分のダメな部分を肯定できるので、その「普通」側を叶えてくれる存在だった。それがそのまま杏奈との同棲という形に向いた。

 

-ラストの深馬からの電話

深馬は慰めて貰おうと思って電話したと思う。杏奈は自分を否定しないし、自分を好きでいてくれると知っているから。

深馬は選択肢を失うのを怖がる子なので杏奈という選択肢を絶対に手放すはずがない。これは100%言い切りたい。その前のシーンで自分の中で積み上げたと思っていた功績と、真未を失ったので一時的に空になってしまっているので。

それを知ってか知らずか杏奈そんな深馬を受け入れてこれからも杏奈と深馬の関係は続いていくんだと思います。

 

 

 

その他

ソメイヨシノ

桜の開花=次の進路が決まる、ソメイヨシノ=一般的な日本人

ソメイヨシノは一斉に咲くようにプログラムされている。働きたいにしろ働きたくないにし「就職する」という目標に向かう姿が深馬には眩しく見えてたのではないか。

ソメイヨシノは春に一斉に咲く桜、そして日本人にとって最も一般的で馴染みのある桜であるが個性が無いと言われれば個性が無い。だからこそ秋に狂い咲くような特別な存在になりたかったのか。

ソメイヨシノはクローンなので同じ服、同じ内容で同じような面接に向かう個性の無い就活生への皮肉?

 

・スプレー

最後、スプレー切れしていた描写から「才能」であり、それが枯渇してしまったのかと思ったけど、スプレーを隠した時の時の真未の反応を見ると「選択肢」でもあったかな?「普通」であることを認めたい深馬が真未の才能を隠す。抑圧に耐えきれず真未が泣いたのか。たかがたくさんあるうちの一つが隠されただけなのに。

真未が仕返しに絵を壊す、それくらいの代償

選択肢を奪うということ?

 

・ポリダクトリー

多指症の子は神の子とも言われているみたいですね。これをモチーフにしたのはそのままの意味で他者より一つ秀でた部分が欲しかったんでしょう。真未とのシーンで「スピ指」「〆のラーメン指」「デザートのバニラアイス指」と色々名付けていたけどやっぱりどれも「生きていく上で必要なくてもあったら嬉しいもの」=「才能」なのかな。

 

 

・疑問点

  • 滝川先生 

深馬に嫉妬していたのは事実?

実際に器物損壊してたのは深馬ではないか。

滝川先生は罪をかぶってくれた?(大学講師をやめる口実が欲しかった?)

と、なると良い人のような気がするんだけど、迷える深馬をそそのかしていた可能性もある?

 

「良い人は脱税する」はどこに繫がっているんだろう。罪をかぶってくれたことと真未の脱税の話が私の中で繫がらない。脱税はミスリード

書類を見てもわからないと思った→滝川の深馬の批評?

 

  • 真未の部屋

どこかには存在している場所。

怒鳴り合ったり心を解放出来る場所だった。

 

  • 天井のシミ

肩車をして天井の気になるシミをスプレーで塗り直した描写。

一人では届かない高さにどうやってスプレーを吹きかけたのか。

  • 最初からあった

こう考えるのが一番自然か。描いていない絵を描いたというように

  • 真未ではない誰かに協力して貰った

頼める人いないので違う。

  • シミがあるとい思い込んでいる

この可能性も大いにある。1度ついたシミは消えない。シミの上からシミを重ねても1度ついたシミは消えない。

 

 

  • アルコール

重要な小道具だとは思うんだけど、じゃアルコール飲んでいる時はどうなんだとか冷蔵庫からアルコールを出す意味、杏奈が買ってきた意味、飲みながらの創作、飲んでいる人、人数ここらへんの関係性もまったく解き明かせていない。

 

  • 原田

ちゃんと原田くんについて考えて見なかったせいで、何故、彼が滝川先生を好きで何故クラスメイトにいじめられたのかわからなかった。物事を一歩俯瞰して見ているし、いじめられるような子には見えない。なめられやすい感じの子かとは思うけど、いじめに直結するような感じではない。(滝川先生の気を引くためにいじめられていると嘘をついた?)(滝川先生は主席の深馬に近づくために原田くんを利用した可能性?)

 

 

真未から深馬に向けた「何にでもなれるんだよ」は作品を通じての脚本家、加藤シゲアキからのメッセージとしても受け取ったけど、シゲは結構、皮肉言ってくる人かな?「何にでもなれる」は「何にもなれない」と紙一重だよな~。真未のような天才もまた普通の生き方は出来ないと思うし。

シゲはそんな皮肉をねじ込んでくるような人じゃない!ということであればめっちゃごめんなさい。深馬という真面目系クズの日常の地続きで終わって行く作品だったのでこのくらい皮肉込められてもいいかなという私の願望でした。