具無し丼

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ジャニーズグループの担当を一人に絞れない件 2020/3/1

同じグループに二人好きな人が出来た。

同時に同じ人を好きになってはいけないと言われるのは何故なのか。

身近なことなら道徳的に、法的に、そういった理解は出来るが相手はアイドルだ。この居心地の悪さはなんなのか。

 

私が、オタクを初めて名乗ったのはジャニーズにはまった中学生の時だった。

友達のおすすめで友達とかぶらないようにと決めたもアイドルを見ているうちに、想像以上のキラキラを与えられ“推し”である“担当”のことがすっかり大好きになり中学生の私は、授業ノートの名前欄、名字を“担当”の名字に変えて書いていた。ついでに妄想の掃きだめのような小説(のようなもの)も書いていた。

痛すぎるにも程があるがそれを楽しいと思っていた当時の自分の素直な思いは良い思い出とする。

 

余談になってしまったが、前述した通りジャニーズ界隈では”推し”のことを“担当”という。

この文化は、“推し”よりも「私はこの人!」という動物でいうマウンティングのような意味合いが強いように感じる。

現に今より若いグループに“担当”を変えることを“担降り”といったりするからだ。

そして、「降ります」と仲良くしていた周りの子に宣言したりする。この点から “担当”は“推し”よりももっと自分のアイデンティティだと感じる。

 

AKBが流行はじめたころから“推し”という言葉が主流になったと思っている。かなりカジュアルに使える言葉で「1番かわいい」「顔が好み」くらいの意味合いで「あっちゃんかわいいから推せるわ~」等で使っていたと思う。

もちろんガチの敦子推しがそのような意味で使っていたかは不明だが少なくとも私と私の周りではそうだった。

 

そんな文化で育った私がアラサーにもなってまたジャニーズグループにはまった。そして担当が定まらない自分にモヤモヤとしている。

“推し”が複数いるのは許せるが”担当”が複数いるこの状況に慣れない。“担当”は”推し”よりも好きという位置づけである。顔ももちろん好きだが、見せてくれているプロ意識だとか、ファンサービスのあり方や人となりが大好きなのだ。

こんなにも好きなのに”担当”が絞れない。

誰かに担当を名乗るときも二人の名を名乗ると自分のアイデンティティが揺らぐ。「○○といえば××だね」「○○を好きな××ちゃんだね」のような方程式ががなくなっている気がして足下がおぼつかない。

グループ全体の雰囲気ややりとりは好きなのである意味では箱推しではある。そして、そのグループにいる”担当”が好きだ。メンバーもみんなそれぞれ好きで全員推しですとは言える。すごく簡単に、堂々と言える。

ただ、その中で特に好きな二人がいる。

その二人を担当と呼びたいのに二人いることで自分の意識がぐらぐらしてしまう。

同じ人を同時に好きになってはいけないという固定観念からきているのか。

だけどアイドルと恋愛したいとか結婚したいという願望は無い。

純粋にアイドルとして応援したい気持ちで溢れる。で、あれば二人一緒に応援すればいいじゃないか。

もちろんそうしてるのだが。画面にいっぱいに担当が映ると二人ともに興奮する。だけど一人に絞りたいと脳みそが言っている。

 

アイドルの誰が好き。特に重くも無いこの話題なのに自分の昔からの意識が揺らいで苦しい。どうして二人とも魅力的なの????なんでこんなに魅力的なの????????最高!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

二人が最高すぎるからいけないの?(話題の飛躍)

 

でも今日も揺らぐ。自己紹介で○○担当の××ですと名乗れない。

 

“推し”文化で育った人はこの感覚わかるのかなぁ・・・