ジャニーズグループの担当を一人に絞れない件 2020/3/1
同じグループに二人好きな人が出来た。
同時に同じ人を好きになってはいけないと言われるのは何故なのか。
身近なことなら道徳的に、法的に、そういった理解は出来るが相手はアイドルだ。この居心地の悪さはなんなのか。
私が、オタクを初めて名乗ったのはジャニーズにはまった中学生の時だった。
友達のおすすめで友達とかぶらないようにと決めたもアイドルを見ているうちに、想像以上のキラキラを与えられ“推し”である“担当”のことがすっかり大好きになり中学生の私は、授業ノートの名前欄、名字を“担当”の名字に変えて書いていた。ついでに妄想の掃きだめのような小説(のようなもの)も書いていた。
痛すぎるにも程があるがそれを楽しいと思っていた当時の自分の素直な思いは良い思い出とする。
余談になってしまったが、前述した通りジャニーズ界隈では”推し”のことを“担当”という。
この文化は、“推し”よりも「私はこの人!」という動物でいうマウンティングのような意味合いが強いように感じる。
現に今より若いグループに“担当”を変えることを“担降り”といったりするからだ。
そして、「降ります」と仲良くしていた周りの子に宣言したりする。この点から “担当”は“推し”よりももっと自分のアイデンティティだと感じる。
AKBが流行はじめたころから“推し”という言葉が主流になったと思っている。かなりカジュアルに使える言葉で「1番かわいい」「顔が好み」くらいの意味合いで「あっちゃんかわいいから推せるわ~」等で使っていたと思う。
もちろんガチの敦子推しがそのような意味で使っていたかは不明だが少なくとも私と私の周りではそうだった。
そんな文化で育った私がアラサーにもなってまたジャニーズグループにはまった。そして担当が定まらない自分にモヤモヤとしている。
“推し”が複数いるのは許せるが”担当”が複数いるこの状況に慣れない。“担当”は”推し”よりも好きという位置づけである。顔ももちろん好きだが、見せてくれているプロ意識だとか、ファンサービスのあり方や人となりが大好きなのだ。
こんなにも好きなのに”担当”が絞れない。
誰かに担当を名乗るときも二人の名を名乗ると自分のアイデンティティが揺らぐ。「○○といえば××だね」「○○を好きな××ちゃんだね」のような方程式ががなくなっている気がして足下がおぼつかない。
グループ全体の雰囲気ややりとりは好きなのである意味では箱推しではある。そして、そのグループにいる”担当”が好きだ。メンバーもみんなそれぞれ好きで全員推しですとは言える。すごく簡単に、堂々と言える。
ただ、その中で特に好きな二人がいる。
その二人を担当と呼びたいのに二人いることで自分の意識がぐらぐらしてしまう。
同じ人を同時に好きになってはいけないという固定観念からきているのか。
だけどアイドルと恋愛したいとか結婚したいという願望は無い。
純粋にアイドルとして応援したい気持ちで溢れる。で、あれば二人一緒に応援すればいいじゃないか。
もちろんそうしてるのだが。画面にいっぱいに担当が映ると二人ともに興奮する。だけど一人に絞りたいと脳みそが言っている。
アイドルの誰が好き。特に重くも無いこの話題なのに自分の昔からの意識が揺らいで苦しい。どうして二人とも魅力的なの????なんでこんなに魅力的なの????????最高!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
二人が最高すぎるからいけないの?(話題の飛躍)
でも今日も揺らぐ。自己紹介で○○担当の××ですと名乗れない。
“推し”文化で育った人はこの感覚わかるのかなぁ・・・
元関ジャニ∞ファンが思うジャニーズWEST~Wtroubleを見て~ 2021/6/23
元関ジャニ∞ファンが思うジャニーズWEST~Wtroubleを見て~
ん~・・・
全身脱毛にン十万支払ったばかりだし・・・、会社から支払われた賞与もこのご時世であってないようなものだし・・・。金欠だし、どうしようかな~
と直前まで悩んだがアイドルは我が心の安寧!これを見ずに何を見る!ということでWtrouble初日公演購入。
冠番組も持っているし、と各々でも着々と仕事のキャリアを積んでいるジャニーズWEST。ジャニーズに疎いけどテレビはまぁそこそこ見るよな立ち位置のうちの母親もMステを見ながら
重岡→「多部チャンのドラマの子。吉高由里子を裏切った男」桐山→「玉木宏の弟役」藤井→「みぽりんの不倫相手」を認識し淳太くんををWSの唇の子を認識しているくらい色々な所で見かけるのがジャニーズWESTである。
それなのにジャニーズWESTとしてはあまりパッとした活動がないのもまた現実なような気がしている。
ジャニーズのお笑い担当、変な歌を歌っている
関ジャニの二番煎じのようなイメージが世間では強いのかもしれない。
私は、ジャニーズWESTが好きだ。jrに疎かった中学生の私でも当時のバドボベテ人気は関ジャニを応援していて避けて通ることはできなかったし、周りのオタクから話題にあがることも多かった。BIGGAMEでテンションがあがる血は10年以上前から流れている。
私は好きで追っている側の人間なので初期の関ジャニとジャニーズWESTではもちろん構成員が違うので個性の違いも、楽曲の違いも認識しているつもりではある。
但し、パッと見の印象が似ているのだ。
関西弁を喋る大人数のグループ、おちゃらけソングを歌う人でお笑い色が強い
「アイドルなのにお笑いが出来る」は関ジャニ∞に食い潰されたのに、そこの枠にしか入れないジャニーズWESTをもどかしく思っていた。
だから、今回のWtroubleで改めてジャニーズWESTの振り幅の広さを見ることが出来てとても嬉しかった。
ファンの皆さんが気分を悪くされたら申し訳ないのですが、ジャニーズWESTどうしたって器用貧乏だと思っていて、グループ活動するにあたってみんななんでも出来ちゃうんです。何をやらせても80点~90点とれちゃう。そんなグループだと思っています。
ただ、「ジャニーズなのにお笑いが出来る」要素は変わり種要素ではなくなってしまったから。
今定着したイメージと安定したバライティでの立ち振る舞いから「ジャニーズのお笑い」をそれが関ジャニと認識しているせいでジャニーズWESTが入ってこない。
誰が悪いでもないけれど、イメージを覆すのはとても難しい。
あと歌番組が減ってしまったことも要因よね・・・
やっぱりうたばんやヘイ!ヘイ!ヘイ!は世間のイメージ付けにはよかったのよなと感じる日々・・・
まぁ世間のイメージは置いておいて、なんでもできるけどイメージに弱いジャニーズWESTがそれを逆手にとってなんでも出来ることを示してくれたいいライブだったと思っています。
コントだけじゃないんだわ。ええじゃないかだけじゃないんだわ。
かっこいい歌だってダンスナンバーだってアカペラだってなんでも出来るんだぞってそしてこの熱量をファンに伝える手立てを持ったグループなんだぞって思うわけです。
これが世間に知られていないのは大変もどかしく思うそんなライブでした。
最近の宮舘くんが光り輝き過ぎている 2021/9/29
宮舘涼太は光り輝く
人の沼落ちブログが好きなので私もその一つになるべくちょっと振り返ってみたいと思います。
簡単に私のオタク史を説明すると
2006年頃
オタクとして開花
2010年頃
二次元男性アイドル界隈に推しが出来る。
この時期がなければ佐久間ニキの話は今もまったく理解してないと思う。スラマッパギー!
2012年頃
本格的に男子バレーボールにはまって、会場にも足を運ぶように。
でも、ずっと何かを推していたわけではなく、社会人になって数年は、怒濤のサービス残業で家には寝に帰るだけの生活でテレビを見る余裕もありませんでした。というか、テレビがありませんでした。その私が再び何か熱量を持って応援出来るとは思っていなかったので、推しとは出会うべくして出会ったし、何事もタイミングだな~というのを実感しております。
そんなこんなで、Snow Manをしっかり知ることになったきっかけは、2020年カウコンでした。見学席のラウールくん!かわいいね!となり、その後、キラーコンテンツYouTubeのお導きによりこちらまで流れ着きました。たまたま見たCFBの動画にハマったもののその頃はまだ「ラウール以外、顔が同じに見える」と若手アイドルあるあるを体験していました。
顔と名前の不一致なんていうのは一時のもので、あれよあれよとオススメに出てくる動画を見ているうちに宮舘くんを意識し始めます。(全ての始まり)
当初思っていたことは、
・センターじゃないのに赤色なの珍しい!
・様子がおかしい
・様子がおかしい
・様子がおかしい
・ゆり組…設定がアニメじゃん…?
でもまだ宮舘担しての自我は芽生えておらず
Snow manみんなかっこいいしオモロだし推せる…箱推しかな…箱って誰の団扇持つんだろ…なんてことを思っていました。
しかし、都内で桜が咲き始める少し前には「舘様担になる気がする」とかすかな息吹を感じていました。
「いや、まて、何だこの気持ち…舘様…好きかも知れない…」というモヤッとした気持ちを整理したくて更にSnowmanのコンテンツに深入りしていきました。
どこまでも熱い男で、
ダンスの緩急が美しくて、
脚が3m近くあって、
私服の癖が強くて(なのに似合ってる)、
お尻とふともものお餅感がおいしそうで、
キザなリップサービスを与えてくれて、
漢字にめちゃよわで、
お肉にお化粧させるし、
ハイヒールが何故か似合うし、
時々ヘラヘラ笑っててぽやぽやしてんな…
そんな人となりが見え始め、「へぇ~亀梨くんのこと好きなんだ」辺りのおおよその情報が揃った頃、それスノパラパラ回を視聴。もう後戻り出来ませんでした。
「舘様が…好き…」
そうです気づいた時には発光していました。
何故、推しは光り輝くのだろう。
この星が輝く訳…それは
君の瞳が今、その輝く夢が、大空を見上げてるからですかね?(良い歌だよね)
渡辺さん的に言うとヤバヤバ君でありイケイケ君である。
まぶしいくらいに輝きすぎて呼吸を忘れてしまう。
ソロアングルで顔面ドーンで映るとだいたいその後5秒ほど息が止まってる。
宮舘近接時無呼吸症候群である。
宮舘くんの部屋の空気集めて売ってくれ
死ぬ間際に取り付けらる酸素ボンベの中身は宮舘くん家の空気が良いな。
生き返っちまうな
「染、色」感想 2021/9/30
「染、色」感想。(考察?)
正門くんの初主演舞台が、アーカイブ付きで配信されるということでありがたく拝見いたしました。加藤シゲアキ作品を見るのはピンクとグレーの映画以来。
鑑賞後、これがシゲシゲしいと表現されるものなのだと知りジャニヲタレベルが上がりました。
怒鳴り合いをしたり感情がボロボロ出てくるシーンが多くて自分的にはかなりエネルギーを消費する内容だったので何度も止めながら休憩しながら見ました。
でも、こうした環境でじっくり見られたのでぐるぐると思うところも少し出てきました。アーカイブを残したのは見た人に考える時間を与える粋な計らいだったんじゃないか。見終わってからそう思いました。
整合性なんてあったもんじゃないけど、物語を通して登場人物に感じたことを雑多にまとめました。
・深馬という人
-真未という人
・杏奈という人
-ラストの深馬からの電話
・疑問点
・深馬という人
美大に主席入学。但しその後、伸び悩んでいる。
最後まで見た所感としては「自己肯定感の低い自己愛強めのナルシスト」です。
ナチュラルに他人を見下して、ナチュラルに他人のせいにしようとしている。
また、優柔不断ゆえに自分で何かを選び取れない子だと思います。真未との対話にもあったように作品を終わらせるのが怖がっている。何度も重ねられる油絵と深馬はそういった点で相性が良かったのかなと。
選考会に出す絵を「あえて下書きを残したままでもいいかな」といったのも深馬の優柔不断さの現れだし、最後の居酒屋のシーンも、わざと単位を落として大学生活を続けるところも「焦って就職するよりも~」ともっともらしいことを言っていたけど、仲間のように才能を捨てて就職するか夢を追い続けるかを決められなかったんじゃないかな。
将来に関しても、選択肢があっても選び取れない子なので、多分そのまま誘われた予備校の講師になる気がする。
・真未という人(深馬の中の真未という人)
名前がまず”真”実”未”満なので、実在はしていないと思っています。
そんな真未は、深馬の「理想の天才像」であり深馬の「才能」の部分だと思います。
深馬の両親は存命で普通の家庭で育ったことに不満?(コンプレックス?)を持っています。
北見のように家がお金持ちなわけでもないし、杏奈のようにシングルマザーで貧乏を経験した家庭でもない。そこに少し憧れていたのかな?自分の生まれた環境が普通だから自分は平凡なんだと沸いてこない才能を正当化しようとしているのかなと?
そんな真未は「両親不在で施設育ち、学校の勉強をしたことがないのに独学で絵が描ける」尖った経歴の持ち主。これが深馬の「理想の天才像」なんだと思います。
真未が深馬の「才能」の部分だと思った理由は、
普段は言えない北見や滝川先生に対する本音が真未には出ている点。
・美大講師として安月給で働く滝川先生を見下す
真未を始めて大学に連れて行くシーン
真未「滝川先生みたいになりたい?」
深馬「どうかな」
でも、一方で先生の部屋に呼ばれて部屋を自由に使える自分を選ばれた特別な存在だと思っているから見下しているのとは違うかも(「俺たちだけ特別に使っていいことになっているんだ」)発言で優越感は持っているように思える。
・北見の作品について
真未「こんなの小学生の時には出来た」
なんでもズバズバとそれらしいことを言うのもまた有りたい姿だったのかもしれない。
真未に絵に対してのアドバイスを貰うシーンなんかを見ていると、自問自答して絵をつくっていたのだと思うと深馬も本気で絵に取り組みたかった子なのだなと思った。作品を完成させない深馬に対して真未が強い言葉を吐いているところからも、向き合うのが怖くてあえて自分の深層にいる真未に言わせたんだろうか。
ここまで深馬のことをどうしようもない奴みたいに書いてしまったけど、主席で入学している事実からも明らかなように努力をしてつかみ取っていて、実力があることは確か。
そして絵が好きな気持ちもきちんと持っています。でも、そこに自信が持てないのは「周りが褒めてくれるから」「周りに言われて」と流されてきたので確固たる信念みたいな何かがなかったんじゃないかな。
絵が上手いとちやほやされているうちはそれが気持ちよくて、気づかなかったけど、落ちぶれてからの始めて自分自身に軸がないことに気づいた。それが今の自信の無さに繋がっている。
だから、遠慮がちに振る舞うことで他人の「そんなことないよ。お前はすごいよ」を求めてしまっているのではないか。今までの功績とプライドのせいで自分を守る方に走る。それが面接で杏奈が言ってた「才能がある謙虚な人」に映っているのではないか。
・杏奈という人
前述したように就職面接で深馬のことを「才能がある謙虚な人」だと語っている。
普通を一生懸命頑張れる子。深馬に対しても真っ直ぐ。嘘をついたりしない。とても芯の通ったしっかりした子です。「自分には芯がない?」と言う風に言ってた気がするんだけど、ここで自己分析は出来てない(本当はしっかり芯を持った子なので)。また、他己分析も出来ていない。
「天才を支える自分に酔っている」のかもしれない。「わからないことに酔うのが気持ちいい」のかもしれない。
恋愛している自分に酔っている可能性もあるが基本的にとてもいい子なので深馬が嫌うはずもなく、依存、甘え含めて好きなんだと思う。退院後ころがりこんだのも一時期はこんな平凡な女、俺とは釣り合わないなんて風に思ってたかもしれないけど、結局、「普通」を辿る杏奈といるのは居心地がよかったし。「特別」でありたい自分と「普通」であれば自分のダメな部分を肯定できるので、その「普通」側を叶えてくれる存在だった。それがそのまま杏奈との同棲という形に向いた。
-ラストの深馬からの電話
深馬は慰めて貰おうと思って電話したと思う。杏奈は自分を否定しないし、自分を好きでいてくれると知っているから。
深馬は選択肢を失うのを怖がる子なので杏奈という選択肢を絶対に手放すはずがない。これは100%言い切りたい。その前のシーンで自分の中で積み上げたと思っていた功績と、真未を失ったので一時的に空になってしまっているので。
それを知ってか知らずか杏奈そんな深馬を受け入れてこれからも杏奈と深馬の関係は続いていくんだと思います。
その他
桜の開花=次の進路が決まる、ソメイヨシノ=一般的な日本人
ソメイヨシノは一斉に咲くようにプログラムされている。働きたいにしろ働きたくないにし「就職する」という目標に向かう姿が深馬には眩しく見えてたのではないか。
ソメイヨシノは春に一斉に咲く桜、そして日本人にとって最も一般的で馴染みのある桜であるが個性が無いと言われれば個性が無い。だからこそ秋に狂い咲くような特別な存在になりたかったのか。
ソメイヨシノはクローンなので同じ服、同じ内容で同じような面接に向かう個性の無い就活生への皮肉?
・スプレー
最後、スプレー切れしていた描写から「才能」であり、それが枯渇してしまったのかと思ったけど、スプレーを隠した時の時の真未の反応を見ると「選択肢」でもあったかな?「普通」であることを認めたい深馬が真未の才能を隠す。抑圧に耐えきれず真未が泣いたのか。たかがたくさんあるうちの一つが隠されただけなのに。
真未が仕返しに絵を壊す、それくらいの代償
選択肢を奪うということ?
・ポリダクトリー
多指症の子は神の子とも言われているみたいですね。これをモチーフにしたのはそのままの意味で他者より一つ秀でた部分が欲しかったんでしょう。真未とのシーンで「スピ指」「〆のラーメン指」「デザートのバニラアイス指」と色々名付けていたけどやっぱりどれも「生きていく上で必要なくてもあったら嬉しいもの」=「才能」なのかな。
・疑問点
- 滝川先生
深馬に嫉妬していたのは事実?
実際に器物損壊してたのは深馬ではないか。
滝川先生は罪をかぶってくれた?(大学講師をやめる口実が欲しかった?)
と、なると良い人のような気がするんだけど、迷える深馬をそそのかしていた可能性もある?
「良い人は脱税する」はどこに繫がっているんだろう。罪をかぶってくれたことと真未の脱税の話が私の中で繫がらない。脱税はミスリード?
書類を見てもわからないと思った→滝川の深馬の批評?
- 真未の部屋
どこかには存在している場所。
怒鳴り合ったり心を解放出来る場所だった。
- 天井のシミ
肩車をして天井の気になるシミをスプレーで塗り直した描写。
一人では届かない高さにどうやってスプレーを吹きかけたのか。
- 最初からあった
こう考えるのが一番自然か。描いていない絵を描いたというように
- 真未ではない誰かに協力して貰った
頼める人いないので違う。
- シミがあるとい思い込んでいる
この可能性も大いにある。1度ついたシミは消えない。シミの上からシミを重ねても1度ついたシミは消えない。
- アルコール
重要な小道具だとは思うんだけど、じゃアルコール飲んでいる時はどうなんだとか冷蔵庫からアルコールを出す意味、杏奈が買ってきた意味、飲みながらの創作、飲んでいる人、人数ここらへんの関係性もまったく解き明かせていない。
- 原田
ちゃんと原田くんについて考えて見なかったせいで、何故、彼が滝川先生を好きで何故クラスメイトにいじめられたのかわからなかった。物事を一歩俯瞰して見ているし、いじめられるような子には見えない。なめられやすい感じの子かとは思うけど、いじめに直結するような感じではない。(滝川先生の気を引くためにいじめられていると嘘をついた?)(滝川先生は主席の深馬に近づくために原田くんを利用した可能性?)
真未から深馬に向けた「何にでもなれるんだよ」は作品を通じての脚本家、加藤シゲアキからのメッセージとしても受け取ったけど、シゲは結構、皮肉言ってくる人かな?「何にでもなれる」は「何にもなれない」と紙一重だよな~。真未のような天才もまた普通の生き方は出来ないと思うし。
シゲはそんな皮肉をねじ込んでくるような人じゃない!ということであればめっちゃごめんなさい。深馬という真面目系クズの日常の地続きで終わって行く作品だったのでこのくらい皮肉込められてもいいかなという私の願望でした。
私のTravis Japan印象論~超初心者編~
まだトラジャに対しての知識が浅く、ほぼフラットな状態(グループが結成された経緯と名前と顔が一致してるくらいの知識)
これを逃すと色んな知識が入ってきてしまうので書くなら今だ!ということで備忘録的に残しておきまっす。
グループの印象
・少年隊ISMを引き継ぐグループ
→舞台に立ってる姿がかっこいい。SHOWの人たち。クラシカルなお衣装が雰囲気に合ってて好き
・普段はアホの子たち(川島さんを除く)
→何個かYou tube見てるんだけど、仙台回なんかは特に横断歩道を渡る鴨の親子にしか見えない
もちろん、如恵留くんが親鳥でその他はひな鳥ちゃん
個人別の印象
・ちゃかちゃん
圧すごお洒落顔のセンター
→顔が洒落てる。センター力すごすぎて端に寄ると見失っちゃう(何故)
グループの雰囲気司ってるセンターってデビュー組だと重岡くんくらいじゃないですか?
ただ、WESTは同様の雰囲気の人たちが重岡中心に集まってるイメージだけど、
トラジャはちゃかの雰囲気が他メンを包括しているイメージ。強い。絶対的赤の人。
真顔の時に出てる圧が好き。少しだけ目線を合わない感じがミステリアスでたまらん。
・のえるくん
グループの通訳係?狂気の努力家
→なんでも出来る人。家がお金持ちそう。育ちの良さを感じる。
必要不必要の決断も鋭そうでその辺は結構、容赦無さそう。
努力で手にした物もいらないと思えば捨てられるし
例えばメンバーの命を脅かす存在が現れた時に犯人を躊躇無く殺めそう。覚悟の人。
・しめちゃん
かわいくてしっかりもののお姫ちゃん
→めっっちゃ容量良さそう。いつもニコニコかわいい。ちゃんと貯金してそう(?)
自分が求められている立ち振る舞いを理解し計算されたアイドルを見るのは大好きです。
かわいいの対比で男らしく見える時がある。結構頼りがいがありそう。第一子?っぽい
・うみちゃん
つかみ所の無いクラゲみたいな人
→人と生活軸と時間軸がずれている気がする。突然スイッチ入ったり切れたりしてる印象。
のんびりしていると思いきやなんかキレてる時もある。ゆるい。パフォーマンスがしなやか。
気だるさがなんかエモいみたいな人。ちょっと危うさもある。ゆらゆらしてるイメージ。サンリオの新キャラにいそう。
よくバンダナしてるのはとっつーと同じ理由かしら。
・元太
根が明るいチャライケ男
時代が時代だったらアルバローザのTシャツ着て渋谷センター街にいたかもしれないと思わせてくるくらいの陽キャ。
内から沸いて出るイメージがそのまま出ている頭より先に身体という感じ。
イケてる男がイケてるように魅せる表現が好き。かっこいい人がかっこつけているのが好きなのでただただ楽しい。
カメラが引くとまつくと見分けがつかなくなる体型とか動きが似ているのかな?
・まつく
超思考型起爆装置
行動が読めない。すごい俯瞰して自分見てそう。客観視した結果のトンデモ行動なのでは?と
バライティで間延びしそうなところを行動で締めてくれてる印象。
笑顔が人なつこくておっきい口あけて笑ってるのかわいいねえ
時々、元太と見間違うのはやっぱりモーションのせいなのか?アイドルモーション大好き。
・しずやくん
柔和な雰囲気のこぐまさん
見ただけで優しいことも誠実なのも全部伝わるこのビジュアル。体幹の安定感。
腰のたくましさが特に好き。次点で下半身。俺が俺がタイプではないと見えて一歩引いて見えることもあるけど
真面目に着実に積み重ねてきたものが確たる自信に変わった時にとんでもないことになるんじゃないかなと思ってる。楽しみ。
小さい歯がかわいい。
最後に
トラジャは今のジャニーズで一番、コンセプチュアルなグループであることは間違いなくて
ずっとキラキラと舞台上から魅せてくれるアイドルであって欲しい。
だから、ドーンとデビューして欲しい反面、デビューして代理店の意向とかタイアップとかでグループの雰囲気とかイメージ崩されるのは絶対嫌だな。
デビューした後、仕事はしっかり選んで欲しいんだけど、デビュー後にそれをどの辺まで操作できるんだろうか。
+81の取り組みからも見て取れるけど、事務所も新しい形を探ってるようにも見えるのでその辺りは滝沢副社長に期待。
(というかそもそも既存のデビュー=CDデビューという形に捕らわれる必要があるのかも謎)
「アメリカで通用する日本のエンタメを」という先代ジャニー喜多川の夢に一番近いグループなんじゃないかな、と。
個人的にそう思っています。
Johnny's festival~thank you2021 hello2022~ Snow Man「Grandeur」のステージ演出すごいねって話
「いや、めっちゃ良いわ…」
見終わった後に、こぼれたこの一言。
まさにその通りだったジャニフェスだけれども、これじゃああまりにも簡素すぎる。
ただ、激情型オタクであるがゆえに書こうとすると各グループの衣装からアイドル同士の絡みからセットリストのあれやこれやをどこがよくて何が好きかを支離滅裂に語り続けてしまう。
あらゆることを語りたくなる素敵なライブだったので感想のターミナルが見つからない。
てことで、テーマを一つに絞って「Grandeur」のステージ演出について
ステージ演出の知識はまったく無いんだけどGrandeurは好きな曲だし、思い入れが強いせいかステージ上の演出を見て感じるものがあって、
光で空間でここまで表現できるんだ!?松潤からはこの曲を通してSnow Manってこんな風に見えてるのかな!?など思った箇所をざっくばらんに書きます。
・イントロ
雷の演出があると何かが起きるって相場が決まっている。
実際に、ハリーポッターの両親が殺された日もアンパンマンがジャムおじさんのパン工場で生まれた日も雷だったからね。
・Aメロ「get in on, get in on,始めよう~」
溜めと我慢
上下に届く縦ライトはMVの神殿オマージュしてる?
縦ライトで広がりが無い、全体的に暗い。ステージが狭く見える。顔も見にくい。
・Bメロ「喧噪に埋もれた小さな夢~」
まだ溜め。
暖色のライトが少し明るくなる。
・サビ「衝動的に突き進め~」
解放
白く明るくなる。カラフルなライトが光り始めるけど、光はまだ客席に届かない
・ラップ「Yeah Listen~」(ここのyeah listenの深澤さんの吐息のyeah listen大好き)
また、少し暗くなる。
この辺りで天井が一番低くなってる。ライトの量は増えて白い光はくるくる動いている。小さい箱の中で充電しているような感じに見える
→オレンジに変わる(充電?準備完了?)
・サビ「情熱的に燃え上がれ~」
開放。
ここで初めて客席にライトが届く
一度目より強い開放
・Cメロ「雲の隙間に光る~」
集約。
振付的にもそうなんだけど、演出的にも先ほどまでの狭さは無く意図的に集まっている。
嵐の前の静けさ。
そして、「I'm gonna suevive~」の歌詞に入るかと思いきやここで歌詞抜き。
歌詞抜きだと溜めが強くなる。原曲を知ってる人は更に強めのストップかけられる。サビ前のバタバタバタってなるダンスアレンジは見てるこっちも「早く…!」って思わされた。からの間髪入れずに
・サビ「誰より気高く~」
ドーーーン!!開放。
待ってましたーーーー!!!!!ここで一番の爆発!物理的にも爆発。
小爆発を繰り返した後の大爆発。天井がどんどん上がって空間が開けていく広がっていく。
少し引いたところからの下アングル(天井のライトごと映ってるカット)
このカット最初のAメロの「shout it shout it~」であった以来二度目(宮館さんの「壮大な未来を~」の前で映るカット)との比較しても断然キラキラ増しの広広
下からのアングルは空間が広く大きく見えるので最後のサビではそのショットがかなり多い。壮大よ~
その後の康二センター「it's a grandeur~」でがっつり下から
康二の腰をアップで一度、視線を下に誘導してからメインステージ全体を引きで映すことで更に空間を広がるのかな?
序盤でも同様に引きで全体映るがショットがあって、その時は天井が下りてた時だからSnow manのいる演出の中の箱の大きさが全然違ってて
たったこれだけなのに曲と最初と最後でグループの大きさがまったく違って見えるのがすごく印象的。
圧倒的ダンスパフォーマンスや光る汗も相まって現地で見てた人も感覚的になんかすごくね?ってなったんじゃないかな。(なってるといいな)
あと、最後のラウ「the grandeur」の後の暗転、星空っぽく映るのもMVのオマージュだよね?
ってことは、松潤さんスノだけじゃなくて全グループの対象MV見たってことだよね…あと、配信用のカメラ演出も意図があるものとして見るとなんかそんな気がしてくるのですごい。全部、計算なんですか…すごいな…
もしかしたら当たり前で基本的な手法かもしれないんだけど、本人たちの内なる葛藤とかファンへの光の届き方とか非常に繊細な表現が行われている気がして…
大好きすぎて何回も見ちゃった。
あと、宮舘担だから過剰反応しているだけだと思うんだけど、この曲はやっぱり2020年末つらかった時とうれしかった時を共有した曲だから、この曲に溜めだったり開放だったりの演出が込められて最後にはでっかく見えるように作られているのが嬉しくて!
もちろん別にこの件がなくったってアイドル人生だって、誰かの人生だって、絶対そういう期間や経験はあるわけで、そういうものをステージ上で演出する場合はこんな風に表現するんだと感心しました。
なんか色々書きましたが最後は結局この言葉に帰結します。
「いや、めっちゃ良いわ…」